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第21回 「『努力は報われる』か?」

私は「努力」という言葉の持つチカラ、イメージのチカラは私生活においてもビジネスにおいても必要かつ重要な物であると思っています。

しかし「努力」と呼ばれる行為は主観的なものであり、本人にとっては「努力した」「努力している」つもりでも「自分はあの人よりもっと努力した」「あの人にしては頑張っている」と他人の評価は厳しいものではないでしょうか。

現代では、「人並み以上の能力」を持ち「成功に至る努力」をしなければ社会的に評価される成果にたどり着くことはできないようです。平凡な能力と言葉通りの「無駄な努力」では「評価されたい」という欲求を満たす事はできないでしょう。

ビジネスの世界でも「評価に値する成果」を最低ラインに、それ以上が望まれますので「努力はしたのですが…」は残念ながらまったく意味のないことのようです。

一般的には社会(会社)に役立つ成果をあげた場合に良い評価が得られるものと思われますが、みなさんは成果が伴わなかった場合の「努力」をどのように感じているでしょうか。

メディアでは「努力が実を結ぶ」「努力が報われる」という言葉がイメージされる成功体験などがたびたび紹介されますが、はたしてそれらは「努力」という主観的なものを他人が正当に評価する過程を描いているものといえるでしょうか。普段から繰り返し入力される「努力が報われる」イメージは「努力は報われるべきもの」という思考を植え付けてはいないでしょうか。

冷静に考えれば「努力」のすべてが報われるはずがないことは誰でも理解できています。しかし、「努力は報われるべきもの」この言葉に囚われるとまるで呪いがかかったように精神が侵されあらゆる場面で不平不満を感じるようになります。今日では「努力が正当に評価されていない」ことを理不尽に感じて精神を病んだり、事件を起こしたり、「誰にも理解してもらえない」との孤独におちいる人が多いように思います。

一方で成果が上がらない人(部署)と同じ評価(給料)しか受けられない場合には、不公平感を感じる人も多いと思います。不満が募ればその場の雰囲気に悪い影響を与えるものと思われます。

「努力は報われるべきもの」これは自分自身に掛ける呪いの思考です。「成果が上がらなくても努力だけは評価してもらえるはず」これも期待は裏切られます。現実に目を向けましょう。

そんな現状でも「成果があがった時には努力をしている」これは間違いありません。成功に至るプロセスに「努力」が含まれ、「努力」を惜しまなかった人が結果を出せるのでしょう。

こんな言葉があります「才能の差は小さいが、努力の差は大きい。継続の差はもっと大きい。」小さな才能の差にひるまずに、よりよい努力を望み、なおかつそれを継続する。

「成功に至る努力」をめざしてがんばりましょう。

京富士印刷ではそれぞれの能力に応じた仕事が割り振られ、相互に補完しあって大きな仕事もこなせるようになっています。的外れな「努力」をしていたら、「成功に至る努力」のヒントを上司が教えてくれるはず。アットホームで良い会社です。