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WELCOME STAFF ROOM

第71回 「東吉野村へ行ってきました。」

 

 

奈良県吉野郡東吉野村。
桜井市より更に南の山間、お隣はすぐ三重県という場所にある静かな村です。

 

 

東吉野村

 

 

今から156年前の文久3年(1863年)大和国にて挙兵した天誅組が、
敗走し壊滅した地が東吉野村でした。
いつか行きたいと思っていたところ、突然そのチャンスが巡ってきました。
東吉野村は天誅組顕彰事業も積極的に行っておられ、その事業の一環で天誅組に関する講演会と、
対談を開催されるという情報を得て、早速申込をしました。
当日はお天気もよく、座学より史跡巡りをしたいくらいの天候でした。

 

 

近鉄電車内に居たにゃんこだるまさん

 

 

京都市内から近鉄電車で大和八木駅へ、そこから大阪線へ乗り換え、
近鉄榛原駅へ到着。

 

 

近鉄電車榛原駅

 

 

榛原駅からはお願いしていた送迎バスに乗車。

どんどん山の中へ走っていく様子に、彼の地の最果て感に脅えながらマイクロバスに揺られ40分。
途中、天誅組関係の石碑やら案内板を車中から恨めしく眺めて通り過ぎ、
東吉野村役場(講演会会場)へ到着。
講演開始まで少し時間があるようなので、
会場近くに日本最後のニホンオオカミの像があると聞き、散歩がてらそちらまで。

 

 

最後のニホンオオカミ

 

 

見渡す限りキレイな山の景色で、眼下には全く淀みのない川がさらさらと流れています。
こんなキレイなとこで、血みどろの戦いがあったんやな。。。この景色を藤本鉄石も見たんやろか。。。
とぼんやり考えながら散歩をしていたら、時間がせまっていてダッシュで会場へ戻りました。
講演&対談は3時間に満たない短い時間でしたが、大変貴重なお話を拝聴致しました。

 

 

購入した関連本

 

 

現地で合流した友人のナイス記憶力と行動力のおかげで、
東吉野村の村長さん・教育長さんと直接お話する機会もあり、
お話して頂いたことを帰宅してから調べてみますと、
東吉野村では、「クリエイティブ・ビレッジ構想」という
若いクリエイターの方々の移住を受け入れられていることも知りました。
講演会でも若いスタッフさんが多く働いてらっしゃったりと、
過疎化の村にも新しいチャレンジと若い力を感じ、当初の東吉野村のイメージは随分と変わりました。
次回は史跡巡り(山歩き)に行ってみたいです。
(また訪問する模様)
お土産に買った柿の葉寿司もおいしかったです。

 

 

 

 


 

東吉野村の歴史
1863年(文久3年)、大和国五条で挙兵した天誅組が鷲家口で幕府側彦根藩兵と戦う。総裁の吉村寅太郎らが死亡し、天誅組は壊滅。 1905年(明治38年)1月、鷲家口で日本最後のニホンオオカミが捕獲される。現在は大英博物館で標本となっている。 2003年3月、宇陀郡6町村との合併が協議されるも5月には離脱、7月に改めて吉野郡七町村合併協議会(法定)に加入し、吉野郡八町村合併協議会となった。しかし大淀町・下北山村が離脱したため2004年3月に協議会が解散。その後、9月に吉野町・東吉野村合併協議会(法定)を設置するが2005年3月解散。(wikipedia)

 

天誅組の変(てんちゅうぐみのへん)は、幕末の文久3年8月17日(1863年9月29日)に吉村寅太郎をはじめとする尊皇攘夷派浪士の一団(天誅組)が公卿中山忠光を主将として大和国で決起し、後に幕府軍の討伐を受けて壊滅された事件である。大和義挙、大和の乱などとも呼ばれる。(wikipedia)